「蝦夷の菓子折り」

今日、来客用にと菓子店へ立ち寄った際、15年ほど前に書いた私のエッセイ「蝦夷の菓子折り」を思いだし、久しぶりに読み返したのですが。  2000年に父が、2008年に母が亡くなりましたが、当時を懐かしく思い出し、ここに紹介してみます。

「蝦夷の菓子折り」

とあるデパートでお客の抱える包装紙。 北海道の草花が赤、黄、緑と色鮮やかに群れている。 その包み紙に惹かれるまま、菓子の詰め合わせを買っていた。

甘いものは苦手なのに、なぜかその店のはどれも口にあう。 以来、私の北海道土産はここの菓子と決めている。

縁あって大阪から札幌へ来て、二十年が経つ。 両親が若く元気な頃には、さほど気にならなかったこの距離が、最近とても遠い。

七十八歳の父はこのところ、具合が悪く、病院通いが常となった。 食事が制約され、決まった食材と分量で、美味しい料理を工夫する母の一日は忙しい。

父より六歳若い母だが、七十を越えたからだにはきつい筈である。 手伝えないはがゆさを胸に、週に二、三度電話をかける。

その声の調子が私の一日を左右する。

父が元気な頃、夫婦ふたりで俳句や短歌を作り、のんびり隠居暮らしをしていた。

そんな両親を慕って、俳句と短歌を始めたHさんがいる。 五十代半ばの彼女は、背筋が伸びしゃきっとした印象である。 父はその元気な声がカンフル剤になると言う。

すぐ近くに四世代同居で暮らすHさんは、家族の要として一日中忙しくしている。 「天ぷら揚げたてるから」と電話があり、数分後には孫の小学生が大皿を抱えてやって来る。 おつかいの駄賃に慌てて菓子を探すが、結局、冷蔵庫の魚肉ソーセージを持たせたと母が笑って私に話す。

遠く離れた親不孝が身にしみている私にはそんな話が、とても嬉しくありがたい。

この春、久しぶりに帰省した。 その折、父の通院にお供したのだが、当然のように車で送迎して下さるHさん。 病院の廊下を歩くときも、慣れた様子で彼女の肩を借りる父。

私は傍らを、ただ歩くだけ。

遠い娘より 近くの他人。

初めて感じる奇妙な思いは、雷のように私の全身を貫いた。 病院の廊下も空気もねじれて見えた。

そんなことがあって数日後、私は札幌へ戻りいつもの生活を始めていた。 ある日、一枚のはがきを受け取る、Hさんからであった。

「草花のあまた描かれし包装紙 心して解く蝦夷の菓子折り」と目に飛び込んできた。

その文面をじっと見つめる。 

私が帰札後、北海道土産の菓子を囲み、父母と思い出話に花が咲いたことが、優しさの満ちた文で綴られていた。

突然、父娘関係解消を言い渡されたような病院での光景が蘇る。 誰にも知られたくない思い。それを打ち消すかのように、何回も何回も、はがきを読み返した。

 


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