「もしもし、梅干にカビ生えてんけど、どないしたらええの? この忙しいのに嫌んなるわ」実家への電話なのに、妙にとげとげしい。
「そんなんで腹立ててたらあかんよ。 ちょっと待ち、しやけど最近梅干し作ってへんし~」と母。
数日後、手紙と一緒に雑誌の切り抜きが届いた。 「気長に干すのが良いようですね。」と書かれてあり、「気長」の文字が私の目に焼きついた。
塾で小学生に英語を教えてるが、五、六年生のクラスにいつも遅れてくる男子がいる。 席に着いても一向に勉強しようとする様子は無く、鞄を机に投げ出し、帽子を被ったまま座っている。
思わず「さっさとしなさい」、きつい口調になる私。 眉間にシワが寄るのがわかる。
英文を読めた順にゲームをすることになり、みんなどんどん読み方を私に聞きにくる。 が、その子はうつむいたまま動かない。 楽しげなゲームの気配を窺うものの、ぽつんとひとりでいる。 何をするでもない宙ぶらりん状態である。
「わかんないなら聞いてよ」とやっぱり強い調子になってしまった。
その途端、下を向いていた彼の目がぽたりと涙がこぼれた。
ドキッとすると同時に六年生の男子が泣くか?! 泣くほど嫌なら、英語なんて止めちまえ と私の心の中はざわつき、泣かせた責任と、どうすればやる気になるのか が頭の中で高速に渦巻く。 ゆっくり深呼吸して自分を落ち着かせる。
数分後、やさしく彼に話かけ、彼の返事を待った、気長に待った。
ようやく小さな声で質問してきた。 ここぞとばかり、ゆっくり説明する。 彼の声が消えないように、私も聞き返す。 良いところは大げさに誉めた。 誉める程に彼の背中はまっすぐに伸び、声も大きく堂々としてくる。
蜘蛛の糸一本に引っかかって揺れている葉っぱの危うさはもうない。 さっきの涙が嘘のよう。
英文を読み終え、にっこり笑顔の彼が忘れられない。 じっくり待つことの大切さを思い知らされた。
こういうことのあった後、私はカビの生えた梅干しを一個ずつ焼酎で洗って干した。 乾き具合を見て裏返す、根気の要る作業である。 そして、太陽をいっぱい吸い込んだふっくら梅が出来上がった。
「もしもし、気長に干したらええのができたわ。 ちょっとだけ送るから」、自慢気に大阪の母へ電話した。