「娘と母」

英語を教えることを通して出会う親たち、子どもたちは私の財産だと自負している。 時代と共に人は変わると承知しているけれど、デジタル全盛の今、親と子、人との関わりが無機的になっている気がする。

体験授業を受けるため、4歳のSちゃんが母親に抱かれてやって来た。 小柄な少女は水泳教室の帰りで髪が濡れている。 27歳の母親は、離婚後間もなく来月から看護専門学校へ通うことなどを一方的に私へ告げた。 「わがまま娘ですから」と言う母親のことばへ、「あんたもでしょ」とすかさず言い返す娘。 母娘の会話は対等で、私がことばをはさむ余地はどこにもない。

園児のクラスは親が同席すると甘えるので子どもだけにしている。 もう一人、5歳の女の子Мちゃんと二人だけのクラスが始まる。 “What’s your name?  My name is ---.” 音を真似るこの英文はだいたいの子は嬉しそうに覚え、Мちゃんもしかり。 だがSちゃんは、「疲れた」を連発するだけ、英語と無関係な話ばかりしたがる。

少々苛立つ気持ちを抑えながら、私は英語のかるた取りへと授業を進めた。 さっきとは一変してやる気の出た顔つきのSちゃん。 すると突然「あたしのカード、取らないでよ」とМちゃんからカードをもぎ取った。 さすがに私の堪忍袋の緒は切れて、「返しなさい」と強く大きな声で叱責した。 それからのSちゃんはふくれ面で、「帰りたい。 プールは面白かったけど英語は大嫌い」と言い続ける。

レッスン中ではあったが、「英語はもっと大きくなってからとお母さんに伝えるね」 と私。 その途端、「あんたなんかに言われたくない。 あたしのお母さんなんだからね」と私を睨む。 泣き顔になるのを必死でこらえているのがわかった。

「あんたなんかに」ということばに私は唖然としたが、「水泳は疲れるから、英語はもっと体力がついてからにしよう」 と優しく言い換えた。 レッスン後、迎えに来た母親にもう少し大きくなってから来て欲しいとだけ伝えて、帰ってもらった。 挨拶もなく不満げな様子で去っていく娘と母の後ろ姿を見送る。 

そんなことがあって数週間後、幼稚園の課外教室でのことである。 小学1-2年生の男女7人のクラスを教える。 途中休み時間をとり自由に遊んでいいことにしていた。 幼稚園の教室なので楽しげな遊具は多い。

男子4人がブロックを一生懸命積んでる。 そこへ女の子が来て、突然それを蹴飛ばした。 一瞬にして無残に散らばったブロックを見て、みんなはことばを失った。 「何するの、謝りなさい」と私が声を荒げた。 私の怒りに涙をためているがその子は謝らない。 「同じことをされたら、どう?嫌やでしょ!」と強い口調で続けた。 みんなの怒りも感じてか、小さい声の「ごめんなさい」 が聞こえた。 「でも、私、同じことをされても平気」とうそぶいている。

その夜、この子の母親へ電話して事情を説明した。 英語から帰ってずっと泣いているそうだ。 「先生に叱られたのがショックみたいです。 ブロックを蹴飛ばしたのは軽い冗談で、逆の立場でも何とも思わないと言う娘の気持ちはわかります」 とおっしゃる。 友だちが真剣に積んだブロックを平気で壊した娘の行為を気にする様子は全くない。 むしろ私の怒り方が悪いという口ぶりだった。

教えることを通してたくさんの心と出会う。 無限の可能性を秘めた子どもたちをどう導くか。 その人間性とどのように向き合えばよいのか。 一体、私に何ができるのか。 思考錯誤の日々が続いている。                                                          


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